アマゾンから届いた嵐山光三郎さんの『「下り坂」繁盛記』を読む。
この中に、107歳まで長寿だった母親の作句や本人の句会の話が出てきた。
嵐山さんは、俳句に造詣が深いだけに芭蕉に関連する本も出している。
以前、芭蕉に関わる本をよく読んでいた時期に、嵐山光三郎著『芭蕉という修羅』を買った。

途中までで読みきっていないから、改めて読み直すことにする。
芭蕉が徳川幕府のスパイ、諜報員だったというユニークな切り口だ。
芭蕉と関係した人の多くが諜報員で、そういった部署に属していたという。
そのため、伊達藩の動向を探る目的で奥の細道の旅にでかけるというものだ。
確かに忍者説も聞くけど、どうなんだろうな。
本当のことはわからないけど、芭蕉に関わる本を読むと、自分は忍者のような気がしない。
芭蕉の『おくのほそ道』などを改めて読み直した。

・おくの細道(角川ソフィア文庫)
・ビジュアル版「奥の細道」(山本健吉)
・芭蕉入門(井本農一)
・おくのほそ道を旅しよう(田辺聖子)
芭蕉は江戸から郷里・伊賀上野に向かうとき、島田宿にも訪れ何句か詠んでいるので句碑が残っている。
たとえば、
・大井川公園
「五月雨の 空吹き落せ 大井川」
・島田駅前・小公園西
「宿かりて 名を名乗らする しぐれかな」

・大井川会所跡
「馬方は しらじ時雨の 大井川」
芭蕉は、元禄4年と7年に地元の名家・塚本如舟邸を訪れている。

(静岡銀行島田支店前)
元禄7年は、その年の10月に亡くなるから最晩年だ。
塚本家は代々孫兵衛を名乗り、茶商や地主として財を成し、三代目孫兵衛は如舟と号し俳諧を嗜みたという。
彼は、室町時代の地元出身の連歌師・宗長を偲んで長休庵(後の宗長庵)を建てている。

(島田駅敷地内北・前西)
宗祇の高弟だった宗長は、幾度も旅に出て暮らしたというから、芭蕉も興味があった人物なんだろう。
以前、友人と丸子をウォーキングしたとき、宗長が晩年を過ごした吐月峰柴屋寺に寄ったことがあった。
現在とは違い、バックの背景と庭がマッチして、より美しかったのだろうと感じたことを思い出す。
塚本邸には、芭蕉没後が芭蕉をしのんで友人や高弟たちが塚本家に立ち寄っている。
