外にでるとひんやりしていて天気がいい。
きょうは、本通りを抜けて島田駅まで向かうことにする。
長年の電車通勤だったけど、最後の15年間は始発に乗っていたのでよく歩いた道だ。
江戸時代の島田宿の案内板がある。
1601年(慶長6年)、東海道に伝馬制が制定され、伝馬駅として島田宿も指定されている。
1604年(慶長9年)、大井川の大洪水ですべて流され、移転したとある。
1615年(元和元年)、豊臣氏滅亡の「大坂夏の陣」の年に、島田宿が元の場所に戻る。復興までだいぶかかったよね。
地方の人々は、当時の権力争いをどんな風にとらえていたんだろうな?
塚本家は代々孫兵衛を名乗っていたとか。その3代目が「如舟」と号し俳諧を嗜むとある。
島田出身の連歌師「宗長」を偲んで草庵を建て、のちに宗長庵という寺になったとか。
松尾芭蕉も旅の途中に滞在していて、没後には芭蕉と縁のある人たちが塚本家を訪ねている。
この案内板の横に「家族融和」と書いてあるお地蔵さんがあった。
島田駅にでる。
始発まで時間があるから利用客はいない。
駅前に「史迹 宗長庵阯」がある。
先に書いた島田出身の連歌師「宗長」にちなむものだ。
1448年(文安5年)生まれとあるけど、当時の将軍は足利義政で室町時代だ。
手元の日本史年表を見ると、禅僧・宗祇に師事し連歌を学び、高弟のひとりだったとでていた。
宗祇は諸国遊歴したとあるけど、宗長も長いこと旅によく出たみたいだね。
道路が完備されず治安も良くなかったと思うけど、どうな風に旅していたんだろうな?
1532年(天分元年)、85歳で亡くなっいるけど、当時としては長生きしている。
そんな生き方をした地元の先輩の宗長に塚本如舟は思いを寄せていた。
島田駅の自由通路を抜け南側にでて、大井川に向かうことにする。
島田球場の敷地を通り抜け、大井川の土手に向かう。
いつもの蓬莱橋まで来る。
そのあと、ジャンボエンチョーの横を通るといつもと様子が違う。
駐車場の入口のチェーンが外されていて、車が2台みえるけど業者の車ではない。
事情がわからないけど、こんな早い時間から数人ひとが並んでいる。
いま話題の古米の販売があるのかな?
戻ってからネットで確認すると、販売日だった。